2008/03/26

昔懐かしい感じがただようもの

娘の通っていた保育園は、娘が年中(4歳児)のときに閉園した。
その時に、植樹とともに園庭のすみに埋めたタイムカプセル

10年の月日が流れて、先日、そのタイムカプセルを開ける日がやってきた。

わたしが行けなかったので、夫に行ってもらったのだけれど、
絵や折り紙がそのままきれいに出てきて、みんな大歓声だったという。

Hoikuen(だって、ポリバケツを合わせてガムテープではりあわせただけというので、 先生方でさえも、状態の良さにびっくり、だったらしいから。)

娘の描いた絵は・・・ 

 なわとびなのか、運動場なのか、本人も意味不明ではあるけれど、「パパ」も「ママ」も若かった感じが伝わってきてsign02、なかなか良い感じ。

青い園服姿が、とっても懐かしく思い出された。Touge2_2

  ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ 

  週末には実家の両親が来ていた。

 休日にも学校の行事などが入っていたため、どこにも連れて行けなかったけれど、それでもせめてと、「峠の茶屋」までドライブ。Touge1_2

Touge3 自然薯のとろろめしや、
味噌おでんが美味しいお店で
ゆったりと時が流れる。

茅葺屋根に水車小屋の
懐かしさあふれるたたずまい。

梅の香りが、春を告げていた。

・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・

なつかしさきわめつけ?は、息子のかばんである。Bag

帰省後、ちょっと話題になっていたのだが

かばんを見た実家の父の、
夕食での一言にみんな思わず爆笑。

「あのかばん、いいねえ!
 終戦直後に、
 ああいうの流行ったんだよ。」

 終戦直後・・・って。coldsweats01

時代は巡り、流行は繰り返すということか??

 なんだか、いろんなものを、
ポリバケツに入れて庭に埋めてみたくなってしまったのだった。

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最近の10年、あっという間だけれど、子どもは大きくなりますね~。

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2007/10/13

初めて会ったなつかしい人

めずらしく、夫の携帯に息子からの着信。

何かと思ったら、横浜スタジアムに響き渡る「古田コール」の電話中継だった。
ペナントレース最後の試合の「代打オレ」の熱狂の中にいる息子を
「いいな~。」とうらやましがる夫。ほんとに、いいな。

みどりさんの記事にあった写真展「熊野・雪・桜」が観てみたかったけど
東京まで行く時間やお金のことを考えてしまって、やむなく断念。
近くならばあれこれ考えなくてもすぐ行けるのにな、とがっくりする。

秋は各所で美術展も多く開催されるし、
演劇を観たり 歌を聴いたりもしてみたいとは思うのに・・・(-_-;)

伊豆に嫁いで良かったと思うことも多いけど、
やっぱり文化面では不自由を感じてしまうことが多い。

   ・・・  ・・・・  ・・・ ・・・  ・・・

 日曜日に、初めてお会いした方とランチをした。

 彼女は、数ヶ月前にたまたまこのブログを見つけてくださったそうで、以来多くの共通点を感じつつ、ここに訪れてくださっていたという。いただいたメールから、思いもかけないほど身近な方であったことがわかり、この日のオフ会が実現したのである。

 本当に、たくさんの共通点に驚いた。

 都内北東部で育ったこと、学んだものや学んだところ、仕事、嫁いだ土地。
一男一女に恵まれたことも同じなら、たぶん、ものに対する感じ方までも。

「わたしの時も、都立は学校群。あの頃の都立って、ほんと自由な感じだったよね、私服だったしね。」
「北千住の、開けていない方に、サンローゼってあったでしょ?」
「子供を生んでから、実家に帰って伊豆に戻るとき、泣きながら帰ってきて・・・。」

そうそうそう、と、むか~しから知っている友人と話しているような錯覚を覚えるほど、懐かしいような、不思議な気持ちで話していた。

 彼女になくてわたしが持っていたものは・・・頑丈な?体であったらしい。

もし伊豆でも教職を続けていたなら、今のわたしのような生活をしていたかもと思いながら記事を読んでいるのだとおっしゃっていた。

 わたしから見て、自分になくて彼女にあるものは・・・
経済的な面もそうだけれど、なんといっても行動力だと思った。

わたしだったら、「~できたらいいな。」と思っただけで終わっていることを、形にしていくパワーが違うし、その「思い」も本当に熱いと思った。好きなことも、ずっと大事にしている。

 田舎に嫁いで、公務員を続け、つつましく?暮らし、毒舌系も封印し? いろいろ揉まれて人間的にもようやく少しは穏やかになってきた感じの自分を、たまに「成長したかな」と振り返ってもいたけれど、「無難」であろうとするために封じ込めてきたものもある。・・・この日、過去の自分が愛おしく感じられた気がした。

 そんな彼女は今、伊豆で写真展を開く準備をしているという。

写真展 『Kids Photographers 子どもは天才!in伊豆』
= 心の眼で撮る = 横浜の盲学校に通う子どもたちの写真展

 こちらのブログに、活動の様子が綴られています。文化面で不自由している~、と嘆くだけのわたしとは違う、ってわかるでしょ?^_^;)

たくさんの人に訪れていただきたいな、と、応援しているわたしなのである。
近隣の皆さん、ぜひお出かけくださいね!! ちなみに、入場は無料です(^_-)-☆

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あ、でも行動力は見習って、来月にはわたしも上京しようかと。
やっぱりフィラデルフィアかしら?

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2007/09/13

若葉マークと教習の思い出

Wakaba  ぴかぴかの若葉マーク。
自動車学校(kenji)のチョロQがかわいいので、拡大してね。

昨日、息子が自動車免許を取得した。

8月28日に入校、9月11日に卒業、12日に試験場で免許取得。合宿免許というのは本当に速い。
前半の1週間は、

「別にさ、学科はいいし、実地もフツーだし、寮の人も話しやすいからさ、何が、っていうわけじゃないんだけど、・・・・なんかホント、しんどいんだよね。 あ~、忍耐講習だよ。」

と、嘆いていた息子だったけれど、路上に出てからはずいぶんリラックスできるようになったようで、講習も無事規定通り修了した。

「そんなにヘンにはならなかったよ。」

と、免許証ではどうしても人相が悪い感じに写ってしまう親たちの心配をよそに、顔の通りに?撮れている免許証を仏壇において、すっきり晴れやかな感じの息子だった。必要に迫られるまでは運転する気はないようだけど、まあ一安心、っていうところである。

 それにしても、景色も良く、しかも2車線のない土地での教習は、とってもうらやましい。

 遠い昔^_^;、わたしの教習コースは、国道6号など、交通量も多い所だった。ほとんど伊豆地域限定車と化している今だったら、とても運転できそうにない道を、しかもマニュアル車で、よく運転したものだと思ってしまう。

 当時、自動車とは全く無縁の生活を送っていたわたしにとって、車社会はほぼ未知のものだった。

「うちの方(伊豆)は免許がないと生活できないから、とっといた方がいいよ。」

と彼が(夫です)言ったので通い始めたけど、ホント、・・・嫌だった。こわい教官もいて、路上を泣きながら運転したときも一回あったし。・・・無事でよかった。

 しかも、大学卒業の頃通い始めたので、混んでいて卒業するのがぎりぎりで、突然離島への赴任が決まってしまったため免許取得はお預け。8月に戻ったとき鮫洲の試験場にいくと、なんと目が悪くなっていて、眼鏡使用と通告されてしまった。

 メガネを作りにいってる時間なんてないので、その辺にいた親切な方にメガネを貸してもらって何とかクリア、というドタバタの免許取得だった。

 結婚後、ALTOを買って、夫に助手席に乗ってもらって初めて勤務先までを往復したときの緊張感は、いまだに鮮明に思い出せてしまう。

 今のわたしの車は、中学3年になるときの息子が選んだもの。
週末にでも助手席に座らせていただいて、スリルのドライブを味わってみたいと思っている。

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そういえば、実家の弟が学生時代の若葉マークの頃、初めて運転したのが伊豆の道。
浄蓮の滝に着いた頃は、ほとんど足がつったようになっていて、大笑いでした。\(^o^)/

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2006/10/25

甘酸っぱいりんごの思い出

Dscf1255_1  実家の両親が、子どもたちに「これでビタミンをとってね。」と美味しそうなりんごを送ってくれた。 ・・・名産は梨ですが・・・(^_^;)

りんご大好き。 りんごって、家族の味がする。

 小中高と、皆勤で通したわたしだけれど、幼い頃はあまり丈夫ではなかったようで、はよく、消化が良いようにとりんごをすりおろして食べさせてくれた。

 息子がお腹にいたとき、つわりがひどかったわたしは、りんごが食べたいと思いながらぐったりしていた。がキッチンの戸を閉め切って、ひそかに真剣にむいてくれた、不恰好なりんご。笑っちゃったけど、うれしくて、美味しかった。

 息子は、高学年になってから、なぜかりんごをむくのが好きになり、よく家族のためにりんごをむいてくれた。けっこうじょうずで、卒業のときには、先生とりんごの皮むきの競争をして、いい勝負になったらしい。

 そうかと思えば、低学年の頃のは、じゃがいもやにんじんの皮むき用のピーラーでりんごをむいているのが発覚し、家族の笑いのネタになっていたっけ。(^<^)

 ちょっと苦い思い出もある。

 あれは、反抗期真っ盛りの中学生くらいのときだっただろうか。いきさつは覚えていないのだけど、わたしは自分の部屋で、不機嫌な顔をして過ごしていた。そこに、珍しくが、りんごをむいたからとお皿にのせてもってきた。

「いらない。」

「・・・・・。そうか。」

父はそれ以上は何も言わず、居間に戻っていった。たったそれだけの一場面なのだけれど、今でも思い出すと、泣きたいような気持ちになってしまう。

 あまずっぱいりんごには、心にしみる、不思議な力があるのかもしれない。

 そういえば。

 学生時代の友人の結婚式のときのこと。披露宴の始まる前、一緒に行った友達とホテルの化粧室に行った。そこで、新郎の親戚だという見知らぬご婦人から、声を掛けられた。

披露宴で判明したのだが・・・なんと、あの有名な、「りんごの唄」の並木路子さんだった。「りんごの唄」を披露してくださって、会場の男性たちから「なみき~!」の声が湧き上がっていた。

 戦後の日本に、明るい希望を与えたという「りんごの唄」。やっぱり、何か特別な力をもっているのかもしれない、なんて思う。

  美味しいりんごを、心から味わいながら、食べさせていただくことにしよう。(*^_^*)

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2006/08/12

ブリキに金魚のノスタルジック

2006_0812005 隠居の玄関先。
水草のもと、涼しげにめだかが泳ぐ。

・・・ちょっと
のぞいてみる。

めだかを写真におさめるのが案外難しくて(拡大して見てくださいね)苦戦してたら、ふと、金魚の柄のひしゃくが目に入った。

にわかに、なつかしい子供の頃の夏の匂いに包まれる。

 雷が鳴り始めると、祖母はよく蚊帳をつった。蚊帳の中はちょっと暑かったけど、雷さまが行ってしまうまで、おとなしく待っていたっけ。

 よく行った駄菓子屋さんで飲んだラムネ。ビー玉がとりたかった。梅ジャムをぬったミルクせんべいや、ひもにつながったきれいな飴も好きだった。

 浴衣を着て、ヨーヨーを買って、すもも飴を買った夏祭り。盆踊りが大好きで、指先まで神経をつかって、大人の人のまねをして一生懸命踊っていた。
たしか・・・、ピンポンパン体操なんていうのも踊ったような・・・(^_^;)

 昨日、小さな夏祭りに子供たちが出かけていった。

 娘の水色の浴衣の柄も、金魚。小さい頃から、何枚目の浴衣になるだろう。浴衣が大好きな娘に、帯を結んであげるのも、楽しいひととき。きゅっとしめて、可愛い蝶の形を作っていく。裾の線がうまく決まると、下駄で歩く姿もなかなかさまになる。髪はもちろん、アップにして。

 美しき日本の夏の風物詩、そして郷愁の思い。心和む夏の匂い、いつまでも。

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2006/07/15

甘くせつないアイスの思い出

あ、オレンジシャーベット!

2006_0713july0022_1  何年か前に、ある日突然この花が気になり出した。
気になりだすとおもしろいもので、いろいろなところに咲いているのが目にとまる。

 名前がわからずいて、花の名に詳しい義母に、「ノウゼンカズラ」と教えてもらった。2006_0713july0026_1

 以来、夏になると娘と一緒に車で走りながら、「あ、ノウゼンカズラ!」「あ、あそこにも咲いてる!」と、盛り上がっている。ちょっとトロピカルな雰囲気のただよう、夏の到来。

 この花を見ると、オレンジ色のプラスチック容器に入った、シャーベットのアイスを思い出してしまう。そして、同じような容器に入ったメロンシャーペットや、木にあたりマークがあったバニラアイスバーあんず棒など、ちっちゃい頃によく食べたアイスが次々に思い出される。10円とか、20円とか・・・だったかな?・・・

 

幼かったある日、母と、となり町の銭湯に行った。

 まだ日も高く、帰り道に母はアイスを買ってくれた。コーンにのっている、今で言えばサーティワンのような美味しそうなアイスだった。たしか・・・50円だった気がする。

 喜んで持っていたら・・・・ 上にのったアイスが、道路に落ちてしまった。

 子ども心にも、大ショック・・・!

 半べそのわたしをみかねて、母はしばらく行ったお店で、今度は30円くらいのアイスを買ってくれた。

 なのにまた、そのアイスを落としてしまった。・・・これはなぜか覚えていない。たぶん、ちょっと食べてから、棒から落ちちゃったんだと思うんだけど・・・。

 最後に母は、10円のアイスを買ってくれた。

 10円のアイスを食べていたときのなんとも言えない気持ちを、今でも切なく思い出す。

 豊かとは言えなかった幼い頃。甘やかされたわけではないし、物をよく買ってもらったわけではないけど、それでも、父も母も、子どもの小さな楽しみを、いつも大切にしてくれていたように思う。

 今週、父から2通の絵手紙が届いた。昨年古希を迎え、この春に仕事を終えた父の現在の楽しみは、小さな絵を描くことらしい。
2006_0715july0005 5月の連休に帰った折に、ドイツ製の水彩色鉛筆をプレゼントしてきたんだけど、もったいなくてまだ使えないなんて言いながら、手持ちの色鉛筆で練習中だという。

 両親はこのブログもよく見るというから、この記事を見たらきっと悲鳴をあげることだろう。(著作権上? 一応メールを送っておくことにします)

 このブログに来て下さる皆さんは、みんな温かい方ばかりだから、だいじょうぶ。次の絵手紙も楽しみにしているので、腕を上げてくださいね、お父上。(^_-)-☆

 あ~~、アイスが食べたいな~。

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2006/07/01

学生時代の一冊のノート

テレビを見ていたら、米倉涼子さんと松下由樹さんが出ていた。
新しく始まるドラマ「不信のとき」の記者会見の一部・・・かな。
なんて美しいお二人。見とれてしまいます。キャストも・・・なかなか。

で・・・、あれ?「不信のとき」って読んだことある。
いつだっけ?? たしか、学生時代??

2006_0701june0004学生時代に読書記録などをつけていたノートがあるはずだと思い出し、書庫にこもること約10分(広いのではなく、単にいろいろ見ていたため)。あった~~!

そうそう、このネコのノート。「気の向くままに」なんていうタイトルになっている。ぱらぱらとめくってみると、あった、あった、10月12日の日付での、読後感想。

  おそろしいほど論理的で、痛快で、残酷な小説だと思う。

と書き出され、女の豹変ぶり、あふれる愛、すざまじい憎悪、冷酷な計算・・・などという語句を使ってあれこれ述べた後、

 「愛は信じること」とは、ありふれたフレーズで、えてして綺麗ごとだと思いがちなのだが、幸福のための最低条件だと痛感した。

と結んでいる十代のわたし。・・・いったいどんな本だったっけ?と思いつつ、なんかうっすら記憶がよみがえってきた。ドラマでも、ヒットするだろうな、と思う。

 ノートを見ていると、このころは「紀ノ川」をはじめ、有吉佐和子作品をかなり読んでいる。ブームだったからかな・・・。女流文学が、好きだった。作家名にも、女性が多い。その他にも、名画座でみた映画の感想や、旅情日記、モネ展や近代文学展のチケットも。 ついでに彼(夫です)への想いも随所に・・・。あは(#^.^#) 
今のわたしより、語彙が豊かな気がする。・・・というか、難しい文書けたんだなあ、なんて、感心してしまう。ノートの記録は、1年くらい続いていた。

 娘が、「ねえ、№1ってあるけど№2はないの?」

 ありませんよ・・・(-_-;) 

  あ~あ、あの頃にブログがあれば、いろいろ書けたんだろうなあ。コメントに励まされながら、もっと長いこと続けられただろうに、なんて思ってみたりもする。

 手にとって見ることのできる、肉筆のものは、本当に良い。(息子たちの方がはるかに字がうまくて、はずかしいけど) でも、今となってはもはや手書きの生活には戻れないわたし。せめて、ネットの上だけでなく、手にとれるかたち(本?)にして、記念にブログの記事を残していきたいなあ、なんて最近思い始めた。いただいたコメントも一緒に残したいけど・・・著作権上、難しいのだろう。

 これからも、一つ一つの記事を、心をこめて書いていきたいな。学生時代のわたしに、負けないように。

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2006/03/13

火事とバンビとサリーちゃん

今日、火事があって、昼過ぎにサイレンが鳴り響いた。

小屋のようなところから出火し、隣にとめてあった車も燃えたという。一時は黒煙が上がって大騒ぎとなったようだ。たまたま同僚が校外学習の帰りに通りかかり、119番通報した後、近くにいたご夫妻と連携して消火栓を開け、放水ホースを持って初期消火にあたったという。被害を少しでも食い止められたことは、せめてもの救いであったろう。

火事というと、思い出す光景がある。

あれは幼稚園のころだっただろうか。
仲良しの、一つ年上のかずえちゃんの家の、お隣が火事になった。
まだ真っ暗な、未明の時間なのに、暗い空を、炎が赤く染めていた。

かずえちゃん姉弟は、道路をわたって少し離れたところにある我が家に避難してきた。消防車が駆けつけ、多くの人が集まり、騒然としていたが、子供は家にいるように言われ、戻ってきたと思う。

かずえちゃんを励まさないと、と幼かったわたしは考えていたんだろうか。
それとも、夜にかずえちゃんが遊びに来てくれたと思い、うれしかったのか。・・・

わたしは、その頃買ってもらったばかりだった、大好きなバンビの紙芝居を読み始めた。生き生きと読むわたしの前で、おびえたような顔をして座っていたかずえちゃんの顔が今でも目に浮かぶ。いったいあのとき、かずえちゃんはどんな想いだったのか。あの時のわたしは、ほんと、なんてバカだったろうと、思い出すだけでもはずかしくなる。

幸い、かずえちゃんの家にはほとんど被害がなかった。といってもお隣の家はたぶん全焼だったのだからたいへんなことだったはずなのに、その家に住んでいた方のことは知らなかったので、ほっとしていた。子供の見えてる世界って、ほんとに、狭いものだと思う。

それからしばらくしたころ、当時大好きだったアニメの「魔法使いサリー」が最終回を迎えていた。サリーちゃんの学校が火事になり、それを魔法でとめて元に戻したので、よしこちゃんやすみれちゃんたちに、魔法使いだとばれてしまって、魔法の国に帰ることになってしまったのだ。学校のまわりの塀のようなところに立って、サリーちゃんは魔法を使っていた。幼いわたしは、そのサリーちゃんの姿を見て、わんわん泣いていた。

火事というと、この二つの記憶が連なって、心の中に描き出される。

そして同時に、自分がかつては本当に子供だったのだということを、実感をもって思い出すのである。

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