言葉は世につれかわりゆく?
たいへんお恥ずかしい限りではありますが・・・
先日の文化庁による「国語に関する世論調査」のニュースで例示されていた慣用句、
ほとんど、意味を取り違えて使っていた。(-_-;)
「憮然とする」 は むっとしているのだと思っていたし
「煮詰まる」 は もうこれ以上考えが出なくて行きづまった感じだと思っていたし
「檄を飛ばす」 は 元気出せ~!がんばれ!というイメージで使っていた。
それぞれ、正しくは
・失望してぼんやりしている様子
・議論が出尽くして結論の出る状態になること
・自分の意見や考えを広く人々に知らせて同意を求めること
・・・だそうである。(上記、文化庁のサイトより)
皆様、正しく使ってらっしゃいました??
「らぬき言葉」などはまだ、感覚的に違うと感じられるし、
「問題な日本語」やちょっとへんな敬語表現にもおおよそ反応できるつもりだけど、
今回のような語句に関してはまったくだめなんだなあ、とがっくりしつつ、やや不可解な気持ちにもなっていたら、新聞のコラムで、「誤が正になった感がある」と書かれていて、ちょっと共感してしまった。
高校時代の古典の勉強で、現代とは意味の異なる古語はよく話題になっていた。(ここにわかりやすいサイトがありました。)
「あはれ」「をかし」などはいうに及ばず、
「うつくしきもの」あたりも有名なところだと思う。
「ののしる」もある。
「この世にののしり給ふ光源氏(若紫)」などは、意味の違いを知らないとたいへんなことになりそうだ。
1000年もの間に意味が変わってきたということには、歴史的な人々の言葉の営みを感じて、疑問に思ったこともなかったのだが、
どこかの時点では「誤用」という時期を経ているのだろうと考えると、不思議な気がする。今回のような調査も、未来の言語学にとっては、きわめて貴重な資料となっていくことだろう。
過去もいいけど、未来人の言語生活、のぞいてみたいな。
たぶん世の常として、なげかわしい、
ということになりそうではあるけれど。^_^;
昨日出かけたときに、ふと暑中見舞いの葉書が目にとまって、何枚か買ってみた。
暮らしが積み重ねられて、歴史になっていく。
言葉の温かみを、大事にしていきたい。
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