2008/11/21

「フィットネス」と「チョコレート」

 3月に会った友人と、先日久しぶりに会ったら

8㎏もやせて、とってもすっきりしていた。

 3月に体の痛みを気にしていたので、体をやわらかくして血行をよくするといいよね、なんて言ってヨガを勧めたのはわたし。

 その後彼女は、ヨガだけでなく砂風呂やフィットネスにも熱心に通い、ダイエットに成功したというわけである。 ご主人も同様に10㎏も減らしたというから驚き!

 「まだ生涯の中では太めのほうなのよ~。」
と笑いながら言っていたけど、全然太めなんかじゃなくてすてきだった。shine

 それを聞いてはわたしも、・・・奮起せずにはいられない!!

・・・といいながら、間違いなくすぐ挫けるのがわたしなのだがgawk、とりあえず今のところはなるべく30分はフィットネスに寄って帰ろう、と1日おきくらいにはがんばっているところである。(この前はじっくり砂風呂にも入ってしまったの。)

 しかし、甘いものも控えているのに、なかなか効果が数値にはあらわれることなく、0.1㎏程度の増減に一喜一憂(一喜三憂?)している状態の昨今・・・weep

 そんな昨日、週末にこちらに来る予定の実家の母と電話で話していた。

「今日ね、果物とかいろいろ買ってきて送ったからね。
 あんたチョコレートが好きだから、美味しそうなの入れておいたよ。」と母。

 「え~~!!なんでチョコレートなんて送るのよ~。
  あれば食べたくなっちゃうじゃん。我慢してるんだよ~。」と、あせるわたし。

 母はわたしの状況説明を聞いて、それじゃあかえって悪かったねえ、学校にでも持っていったらどう? とちょっと気にした様子で言っていた。

 ・・・  ・・・  ・・・  ・・・  ・・・

 今朝、職場で、用務員さんにその話をした。

 わたしが初めて静岡に来た20年前もお世話になった、大好きな用務員さん。(わたしがおやつタイムを自粛しているのもよく知っている。)

 「まったく、チョコレートなんて送られちゃ困っちゃいますよ。ゼッタイ食べちゃうもん。」というわたしに、用務員さんはいつものあったかな笑顔で

「でもね、送る喜びってあるんですよね。
 わたしなんて、よく実家の母にいろいろ送っていたけど、この夏に母が亡くなってからは、送る相手もなくて、はりあいがなくなっちゃってね。」

 心に響く一言だった。

 わたしのために、美味しそうなチョコレートを選ぶ母や、丁寧に荷造りする父の姿が目に浮かんだ。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・Gift・・・・・・・

 夜、帰宅すると、玄関先に宅配便が届いていた。

家族みんなの好みを少しずつ詰め込んだダンボール箱。

 年金生活で、細々と暮らしているんだから、お金なんて使わないでって、いつも言ってるのに。こっちはお義母さんのおかげで夫婦二人で働かせてもらって、じゅうぶんお給料いただいているんだから。

 まったく~。次はダイエット食品でも頼むか~、って思いながら、一つずつ出して並べてみた。

 美味しそうなチョコレートや、みずみずしいフルーツたちが、蛍光灯の灯かりの下で、誇らしげに輝いていた。

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2007/10/29

家族それぞれの秋の休日に

 台風が過ぎ去った日曜日。Fuji_4   久しぶりに見る、美しい富士山に感激!

 Cimg1188思わず娘と「わあっ!!」と声をあげ、シャッターを押す。

 あの日と同じ場所での撮影。
 時は流れて・・・、なんて思いながら。

 この日は、週末に出張だった夫に代わって、地区のソフトボールの大会に出るため息子が帰ってきていた。
野球とはだいぶ感覚が違う大きなソフトボールに、代理の遊撃手は悪戦苦闘だったようだけれど、おじさんたちに良くしていただいて、たくさんご馳走にもなって、楽しそうだった。スポーツの秋、食欲の秋、満喫?Cimg1190_2

  娘は、31日のハロウィンにそなえて ジャック・オー・ランタン作り。

Cimg1193_5 あれこれ迷って、ミッキーマウス風のデザインにしたつもりが・・

「バカボンに出てる人になっちゃった~。」と娘。 え、・・・そんなことないじゃ~ん。(^_^;)

Jack_3(息子は、この口元に注目し、麻○さんか~?とつっこんでいましたけど。)

  火を点すと、なかなかきれいだったので、みんなで珍しがって眺めてしまった。
 (実は、ハロウィンは、わたしの誕生日。魔よけになるかな?)

 わたしはというと、「家読(うちどく)」で紹介されていた本を何冊か借りてきたので、読書の秋となった。

Photo この日読んだのは「マーリー」。
全米ベストセラーになった作品だという。

 信じがたいことにノンフィクションのエッセイだというこの本。
思わず何度も声をあげて笑ってしまい、
時に切なさでいっぱいになり、
筆者夫妻や子供たちとともに人生を歩んでいるような想いに包まれながら・・・

読み終わりたくないような気持ちで読み終えたのだった。 家族って、・・・いいなあ、とじんわりとして。

  ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・

息子を送るついでに、義母と娘を乗せ、夫とも待ち合わせて、夕食は久しぶりの外食となった。遅いお昼でお腹いっぱいの息子も、おやつにソフトクリームを食べてしまったわたしも、ちょっとしか食べられなかったけど、

Cimg1200でも実はわたし一人だけ、
「家族そろっての、ちょっと早めの誕生日の食事だわ~」
とひそかに心の中で幸せ気分を味わっていたのだった。
誰もそうは言ってないんですけどね。)

駐車場にはススキが揺れ、空にはたぶん十六夜の月。
秋が、・・・日に日に深まっていく。

息子を駅に送ると、秋晴れの日だったのに、今度はちょっとセンチメンタルになったりして。 ・・・家族それぞれ、秋いろいろの休日の夜。

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そんな気分の夜には、「元気なマーリー」を思い出して、「レレレのおじさん」を見るのが良さそうです。(^_-)-☆

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2007/10/24

燻し銀とはいかないけれど

「晩年運がとってもいいんだって。幸せに過ごせるらしいよ。」

ずいぶん前にたしか、母がどなたかにみてもらったというときに、父についてそう言われたと言っていたと思う。

青年時代の父は、不遇ともいえる境遇だった。
かろうじて昭和2ケタではあるものの、戦後の混乱は、末っ子であった父の人生に覆いかぶさってきた感がある。

「わたしはお父さんとは違って、ちゃんと女学校を出ているからね。」
今は亡き伯母(父の姉)が、何かの会話のときに悪気もなく言った一言は、思春期のわたしの敏感な心に突き刺さるようだった。

学校を出ていなくても教養のある人はたくさんいるから、父はもともと勉強が好きではなかったのだろうが、それでも機会があればもう少し違ったのだろうと思うことも多かった。

兄弟の中で一番経済力もなかったけれど、母親(祖母)をみて、毎日まじめに会社に通って、楽しみといえば、テレビでお相撲を見たりプロ野球を見たりすることくらいだったのではないだろうか。

誠実だとは思うけど、特に父に魅力を感じることなく育った娘は、父とは全く異なる
背が高くて知的でスポーツマンで優しくてかっこいい(←当時)男性
と結婚をしたのだった。(^◇^)     (↑自分とも異なるんですが。)

 ・・・・ ・・・・・ ・・・・・

 それから20年。

はっ、と思ったのは、この3月のことだった。

息子の引越しをきっかけに、家具を多数リサイクルショップに出すような我が家の大整理が始まり(始めてしまい)、家の中はすさまじい状態になった。

ちょうど転勤と重なったわたしは、家族だけではもう限界、と父に「ヘルプ!」。
ああしたい、こうしたい、というイメージだけを伝えて出勤するような日が何日か続いた。

連日・・・、帰宅すると、美しく整頓されて、イメージ通りになっているのだ。

外回りも書庫も納戸も押入れも、引き出しに至るまで。本当に驚きだった。

それでいて、「これでいいかい?」と、たださり気なく笑っている父。

定年が過ぎても、例外的に70歳まで会社で雇ってくれたという理由もわかる気がした。きっと、パートさんやアルバイトさんよりちょっとは賃金がかかっても、やる仕事もきちんとしているし、重宝がられたのだろう。あれこれうるさいことを言うわけでもない。

仕事で培われてきたものもあるにせよ、これが父なのだ、と、そのとき初めて気づいた気がした。

今回も、整理しきれていなかった息子の部屋を中心に父の力は発揮され、二階で「どうだい?」とにこやかに一言。おみごとだった。

つやつやの顔をした父を眺めつつ、帰省した息子にこの思いを伝えながら・・・

「アンタも、勉強はいいけど蘊蓄ばっかり言ってるような偏屈なお爺さんにならないでよ~。」

と、思わず遠い将来を心配して忠告してしまったわたしだった。
(でも、彼から教養をとっちゃったら、そっちの方が困るな~。ま、いいや、その頃いないし・・・。^_^;)

長い間、父とともに歩んできた、やはりつらい青春時代をすごした母が
「70歳を過ぎても、元気でこれだけ役に立てればたいしたものでしょ!」
と、自慢げに微笑んでいた。

 なんて言うのか・・・

自分が年を重ねて、より多面的に人を見られるようになったこともあるのだろうし
肉親だから逆に気づかなかったということもあるのだろうけれど

人の輝きって、本当にさまざまで、
・・・人生って、わからないなあ、と思う。

願わくば自分も、これから先、くすみながら老いていくのではなくて
気持ちの良い光を放って生きていけたらいいな、と思いつつ・・・

唯一、雑然としたまま残された夫の机周辺
いくばくかの不安感とともに見つめてしまうのであった。

はたしてこの先20年後は、いかに・・・?(^<^)

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妙な教員臭さ漂わぬよう、明るく元気に毎日を重ねていかなくちゃ~、とあらためて、ね。(#^.^#)

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2007/06/30

結婚20周年~家族のかたち

 結婚したときの

「子どもは何人ほしいですか?」

という質問へのわたしの答えは・・・

 「上が男の子、下が女の子の 二人が希望です。」
 (ちなみに夫はたしか、男の子3人だったけど。)

 よく世の中では一姫二太郎と言われるが、実際「一姫二太郎」で育ったわたしは、どうも弟よりしっかりしすぎてしまったので、ずっと「妹」に憧れていたのだ。

  ありがたいことに、このときの夢はかない、息子と娘に恵まれた。

 当時中学校に勤めていたわたしは帰宅時間も遅く、育児どころではなかったけれど、義父母に本当に大きく支えられて、たぶんわたしたちだけが育てた場合よりも、子どもたちは健やかで穏やかな子に育ってくれた。

 まだ赤ちゃんの娘と、幼稚園の息子。
いつまで見ていても、あきることがないほど可愛かった。

 娘が入学したとき、息子は5年生。
息子の同級生にもとても可愛がってもらって、楽しそうな二人だった。

 中学生の息子と、小学生の娘。
忙しかったけど、それぞれの活躍ぶりが楽しみな毎日だった。

 高校生の息子と、中学生の娘。
 「夕飯のあとの団欒の時間が大好きなんだ~。」
とよく娘が言っていたけど、夫が息子を乗せて帰宅して、二人が遅めの夕飯をとるときの30分くらいの時間が良かった。会話を愉しんで、一日が和やかに終わっていく夜だった。

いつも漠然と

「今が一番いい時なんだろうな。」

と、感謝しながら思っていた。今がずっと続いてほしいな、と。

・・・でも、

息子が進学して一人暮らしを始めた今、
覚悟はしていたつもりだけれど、やはり「転機」を感じている。

家族それぞれにとっての、息子の存在の大きさを想う。
息子に限らず、たとえ誰が離れても、バランスは悪くなったのだろう。
それが、いつか自然に作りあげられていた、「家族のかたち」だったから。

これから

どんな「家族のかたち」になっていくのか・・・

ちょっと不安を感じつつ、でも前向きにと自分を励ます、20回目の結婚記念日。

子育て中の皆さん、、今をたっぷりたのしんでくださいね。にほんブログ村 家族ブログへ

  ・

Cake_2木曜日が、結婚記念日でした。(ジューンブライド)。夫がケーキを買って、早く帰宅してくれていました。翌日が娘の期末テストだったけど、ちょっと夜のティータイム。

 あ~、ダイエットはいったい??(>_<) 

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2007/05/24

一人の時間に思う二人の時間

田舎ではたいして広いわけでもないが、
都市部の感覚だと、じゅうぶんに広いこの家。

いずれにしても・・・、一人でいるには、広すぎる家である。

息子は大学生となって家を離れ、昨日から娘も修学旅行。
夫からも、PTAの会合で帰宅が遅くなると、メールが入る。

響いているのは、テレビの音と、カエルの鳴き声。(-_-;)

娘が大学生になる頃には、こんな日々になるんだなあと、ちょっと心細くなる。

昨日は夫がソフトボールの試合だったから
久々に仕事帰りにヨガに寄ることにした。
ヨガまで時間が少しあったので、お店でカジュアルな夫の服を一枚買った。

今日は帰宅途中につけた車のAMラジオから
不意に「セカンド・ラヴ」が流れてきて
学生時代に夫の自転車の後ろにのって口ずさんでいた夜のことを思い出して、ちょっと甘い気分になっていた。

子どもたちが巣立っていくと、また新たな二人の時間がやってくるんだろう。

なんて・・・

今の子どもたち風に言うと

「ラブラブじゃ~~ん!!」

となりそうなところだったが、・・・実際はそう甘いものではない。

現在、わたしたち夫婦の共通の一冊は・・・

40sai 40歳からの ど忘れ・もの忘れ・小ボケ防止マニュアル

先日、図書館で心惹かれて?借りてきた一冊である。

心なしか、会話にも、「アレ」が増えてきている。
世に、「あうんの呼吸」と言われる夫婦の真相は、ボケなのだとか。

 実は、この前も、わたしのパジャマがいつもの場所になくて、夫に、どこかで見なかったかと聞いたら、・・・

   「おまえさ~・・・、パジャマ、着てるぞ。」

そうだった\(◎o◎)/!スーツで帰宅したので、家事をしづらくて、帰宅してすぐ着替えていたのを忘れていたのだった。

いつも娘に小ボケを指摘されている夫は、大急ぎで娘に報告に行っていた。

 あ~あ、先が思いやられるこの夫婦・・・。

それより何より、会話は脳を活性化させるというから、早く夫に帰宅してほしいけど、でもおとなしく、明日までの仕事をせっせとかたづけることにしようかな。

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2007/04/28

懐かしいれんげ畑が広がって

「あ~!!スト~~ップ!!」

娘のバレーボールの試合の応援に行く途中。

「突然言われても困るよ~。」と夫に言われながら、道路の端に車をとめてもらい、デジカメを持って走っていった。

Renge 一面のれんげ畑が広がっていた。

懐かしさでいっぱいになるような光景。

 こちらには田んぼはたくさんあるんだけど、れんげ畑はあまり見ることはない。先日の夕食のとき、義母がれんげ畑を見たと話していた。そこは近くなのだけれど通勤の道とは異なるので、まだ撮影できずにいたところ、その場所よりもはるかに広大なれんげ畑が、突然眼前に広がったのである。

びっくり~!

 小学生だったころ、東京のはずれにもまだ田んぼがあり、毎年れんげがたくさん咲く場所があった。れんげ畑になるのが楽しみで、れんげを摘んでは、首飾りや冠を編んで遊んだ。

 実家にあるアルバムに、れんげ畑で遊ぶわたしと弟の写真があったと思う。

 きのう27日は、弟の誕生日だった。ちょうど、弟のことを考えていたので、懐かしさがあふれそうだった。

 ずいぶん長いこと会っていないけど、元気かな。
息子が横浜のはずれで暮らし始めたので、アクアラインのバスを使えば、今度はなんとか会えるかもしれないな、なんて考えた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

バレーの大会は、一回戦は勝ったものの、2回戦は強豪相手にあえなく敗退。
娘は小柄ながらよく動いて一生懸命セッターをやっていた。何か、かわいかった。

先週息子が帰ってきたとき、ちょっと娘の練習試合をのぞきに行ってくれた。
「あ~、お兄ちゃんがきてる~!かっこい~!!」
なんて周りの友達に騒がれて、娘はけっこう恥ずかしがっていたけど、・・・嬉しそうだった。
明日は、ちょっと息子のところまで日帰りドライブをしようかということになっている。
Hanabatake_1初めて見る息子の大学やアパートに、娘はどんな思いをもつのかな。(#^.^#) 異性の兄妹だけど、いつまでも親しく、仲良くしていってほしいと、・・・心から願っている。

 右の写真は、れんげ畑の反対側から見たお花畑。これもとっても美しかった。

庭の石楠花の花も、いつのまにか、薄く美しいピンク色の花びらをひろげていた。

 今年は、満開の桜を眺めることもない春だったけれど、ようやく毎日が少しずつ軌道に乗ってきて、花の美しさに目をとめることができるようになった。家庭訪問で、おうちの方とお話できたことも大きなエネルギーになって、自分らしさを取り戻しつつあるこの週末。やらなくちゃならない仕事もあるけど、とりあえずメインは・・・充電の連休、かな。

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2007/04/22

子は親を超えて・夢のつながり

 1週間を終え、目覚まし時計をかけずに眠ったら、
 泥のようにねむりこんでしまい

土曜日、起きたのは ・・・・ 9:00を過ぎていた。

 いつもは、せめて5:00くらいには自然に目が覚めるのに~(-_-;)

早く、自分のペースで、自分らしい生活をした~い!!

 ・・・という、まだまだ落ち着かない週末だけど、

昨日は、約3週間ぶりに息子が一時帰宅。ちょっと嬉しい土日になった。

スーツ姿で駅に現れた息子を乗せ、夫と3人で、高校にお礼のご挨拶に伺う。
主任の先生、担任の先生とともに、息子の学生生活の詳細を聞く。

語学の授業は大変だけど、たくさん取った講義はどれも興味深いこと、
今年は、いろんな検定を三つくらいは受けようと思っている、ということなど・・・

受験勉強から開放されて、自分がやりたい勉強を自由にできることがとても嬉しそうな息子だった。

 ・・・わたしたちが学生のころとは、ずいぶん違うな、と、ちょっとまぶしかった。

 先日、実家の母と電話で話していたとき、
子どもたちのこれからが楽しみだというわたしに、母が言った。

「あなたにもね、もっといろいろなことをさせてあげられたら良かったのに、と、今でも思うんだよ。 たしかに、教師の仕事はすごく向いていると思うけど、でも、ほかにも何か才能があったんじゃないかな、って、今でもそれは心にひっかかってる。」

経済的に豊かとは言えなかったあのころ、わたしは教員を志して、教育特別奨学生として進学した。

教師の仕事は、わたしの夢でもあり、母の夢でもあった。早くに両親を亡くした母が叶えられなかった夢。教師になったわたしを、いつでも母は応援してきてくれた。

でも・・・何か違う道を閉ざしたのではないかと、母は感じているらしかった。

 わたしは・・・

最近、感じていることを、母に伝えた。

二人の子どもたちは、どんどん親を超えていっているということ。
わたし自身は、教員しかできないけれど、
きっと子どもたちは、もっと違う世界を豊かに広げていくだろうということ。
そして
命とともに、人生はつながっていくから、わたしもその流れの中に生きていて
可能性はいつまでも広がっているし、終わることはないと感じているということを。

   ちょっと・・・なんだかわからないけど、最近のわたしの人生観かな??

母は、「そうだね、たしかに、わたしの夢をあなたが叶えてくれたんだしね。」

 命のつながりを感じることは、ちょっと嬉しく、そして敬虔な気持ちにもなれる。
わたしは、わたしなりにできることを、公私ともに、心をこめてがんばっていきたいな、と思っている。子どもたちに負けずに。

  だから~~~、早く自分のペースで生活できるように、しっかりしないとね!(^_-)-☆

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2007/03/17

ナレーターになったお義母さん

「先生~!合格したよ~~!!」

県立高校の合格発表の日、15年度に卒業した子たちが、満面の笑顔で報告に来てくれた。

「おめでとう!良かったね~!!」
わたしも、何だか涙がうかんでしまうほど、嬉しくて、本当に愛しくて・・・
(まったく涙腺が弱くなりました。)

娘にとっても、大好きな先輩たちの卒業である。
自分で選んだ新たな道での活躍を祈りつつ、祝電の言葉を考える。

息子の中学時代の同級生の進路の情報も、少しずつ聞こえ始めた。

  みんな それぞれに、夢を抱きながら、新しい春を迎える。

 ・・・・・

「実は、わたしもね、朗読の講座に通っているの。」

今日の夕食時の、義母のびっくり発言

お友達の誘いで生涯学習の学校に通い、朗読の勉強をしているのだという。

そのサークルが、地元のFMラジオ番組で30分の枠をもらって、朗読を流すことになり、なんと先日、スタジオに収録に行って、芥川龍之介の短編の一部を朗読したそうだ。

紙の音さえ、させてはいけない中で、緊張したらしいが、一発合格だったようだ。

「ナレーターになってみたいっていう夢が、かなった、と思ったよ。」

義母は長い間幼稚園教諭をしていた。ナレーターをやってみたかった、という夢は初めて聞いたので、みんなでまたびっくり。

NHKラジオの、わたしの本っていう番組が好きでね、中学生の頃、ナレーターに憧れてたの。」

ホールでの発表会などにも出ていたようなので、
「え~~!みんなで聞きに行きたいから、今度は教えてくださいよ~!!」
と言ったけど、恥ずかしいから内緒だと笑っていた。

 お義母さん、そんな夢があったんだなあ、お義母さんの読む近代文学、聞いてみたいなあ、って・・・とっても新鮮だった。

 一方、実家の母からは

「また新聞の投稿、採用されたよ~。来週○○日の朝刊だって。」
・・と、喜びのメール。

 学年末の山積みの仕事に追われ、ブログの更新も滞っていたわたしとしては、
六十代の二人の母のパワーにすっかり感心し、とっても元気をもらった気がした。

    いくつになっても ・・・輝いて生きることの美しさを思う。

        夢って、す・て・き。        

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2007/01/01

お雑煮を味わう元旦の朝 

新年あけましておめでとうございます。

気持ちよく晴れ渡った元旦の空。とっても気持ち良く感じられる。

  何となく
  今年は良いことある如し
  元旦の朝 晴れて風無し  啄木

 こちらでは、お正月三日間の朝の支度は、男性陣の仕事となっているので、三が日のお雑煮は夫と息子が用意してくれる。

学生だったころ、
「お雑煮つくってやるよ!うまいんだよ。毎年やってるから。」
と夫に言われ、ごちそうになったことがある。

おだしはおいしかったけど

大根がごりごりだった

でも、当時はまだ甘い恋人同士だったので、
「うん、ちょっと大根がかたいけど、でも、とってもおいしいっ!(*^_^*)」
なんて お世辞を言ったけど、・・・かたすぎた。

嫁いでわかったことは

大晦日に女性陣がおせちのしたくをするときに、銀杏切りにした大根は、しっかり下茹でをしておくということ。夫は、大根が下茹でされているということを知らなかったというわけで・・・。18歳になった息子には、大根はよく煮ないとかたい!ということを教えておきたい。・・・って、もう知ってますけどね・・・。(-_-;)

Dscf1742_1  義父が元気だったころは、お餅つきもやったし、しめ縄もすべて手作りだった。息子がしめ縄づくりも学んだし、いつかまたそんなふうにお正月を迎えてみたいと思っている。

 写真は、うり坊キャップをかぶった息子です。

元旦の朝の光をあびて今年は良いことあるごとし

 ブログを読んでくださっている皆様、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 皆様にとって、健康で、すてきな一年でありますように。

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2006/10/25

甘酸っぱいりんごの思い出

Dscf1255_1  実家の両親が、子どもたちに「これでビタミンをとってね。」と美味しそうなりんごを送ってくれた。 ・・・名産は梨ですが・・・(^_^;)

りんご大好き。 りんごって、家族の味がする。

 小中高と、皆勤で通したわたしだけれど、幼い頃はあまり丈夫ではなかったようで、はよく、消化が良いようにとりんごをすりおろして食べさせてくれた。

 息子がお腹にいたとき、つわりがひどかったわたしは、りんごが食べたいと思いながらぐったりしていた。がキッチンの戸を閉め切って、ひそかに真剣にむいてくれた、不恰好なりんご。笑っちゃったけど、うれしくて、美味しかった。

 息子は、高学年になってから、なぜかりんごをむくのが好きになり、よく家族のためにりんごをむいてくれた。けっこうじょうずで、卒業のときには、先生とりんごの皮むきの競争をして、いい勝負になったらしい。

 そうかと思えば、低学年の頃のは、じゃがいもやにんじんの皮むき用のピーラーでりんごをむいているのが発覚し、家族の笑いのネタになっていたっけ。(^<^)

 ちょっと苦い思い出もある。

 あれは、反抗期真っ盛りの中学生くらいのときだっただろうか。いきさつは覚えていないのだけど、わたしは自分の部屋で、不機嫌な顔をして過ごしていた。そこに、珍しくが、りんごをむいたからとお皿にのせてもってきた。

「いらない。」

「・・・・・。そうか。」

父はそれ以上は何も言わず、居間に戻っていった。たったそれだけの一場面なのだけれど、今でも思い出すと、泣きたいような気持ちになってしまう。

 あまずっぱいりんごには、心にしみる、不思議な力があるのかもしれない。

 そういえば。

 学生時代の友人の結婚式のときのこと。披露宴の始まる前、一緒に行った友達とホテルの化粧室に行った。そこで、新郎の親戚だという見知らぬご婦人から、声を掛けられた。

披露宴で判明したのだが・・・なんと、あの有名な、「りんごの唄」の並木路子さんだった。「りんごの唄」を披露してくださって、会場の男性たちから「なみき~!」の声が湧き上がっていた。

 戦後の日本に、明るい希望を与えたという「りんごの唄」。やっぱり、何か特別な力をもっているのかもしれない、なんて思う。

  美味しいりんごを、心から味わいながら、食べさせていただくことにしよう。(*^_^*)

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2006/08/01

お盆~感想文「祖父の存在」

2006_0731003 お盆の迎え火

「うちの山の木だよ。」と、夫が火をつける。

義母と夫の手によって、仏壇がきれいになった。竹で仮門をつくり、供物や、馬と牛をおく。今年は形の良いものができなかったからと藁でできた市販のものを買ってきたけれど、いつもは、きゅうりとなす。

きゅうりの馬で早く来て、なすの牛でゆっくり帰るというものらしい。(ですよね?)

なすだけが異様に苦手な息子は、「僕はなすには乗りたくないなあ。」
(今後、なすも 好きになってね。)

お義父さんが楽しみにしていた息子の成長。
息子の「根」としての「祖父の存在」。

中学1年生のとき、地元のゆかりのある作家・井上靖の「しろばんば」を読んで息子が書いた感想文を、お盆の今日は載せたいと思います。でも、ちょっと長いので、お時間あるときにどうぞ。

(井上靖についてはご存知だと思いますが、幼少期、彼は伊豆で、血のつながらないおばあさんと一緒に暮らしてました。「洪作」と「おぬいばあさん」の生活を中心に進んでいく「しろばんば」は、彼の自伝的小説です。)

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   祖父の存在
                                     
 平成十三年七月七日、祖父は亡くなった。
 僕にとっては、あまりに突然の出来事だった。この夏を乗り切れるか、と父が心配して口にしていたその翌朝、逝ってしまったのだ。

 祖父は生前、父の長男である僕に大きな期待をしてくれていた。五人の孫たちみんなを可愛がりながらも、
「とにかくうちはおまえが頑張ればいい。ほかは元気でふつうでいいから。」
とも言っていた。祖父は、僕が祖父のために頑張ったといえる漢字検定の結果を、病床で最期まで、まだかまだかとずっと待っていた。葬儀を終えてしばらく経って合格通知が来たときは、祖父も喜んでくれるだろうと思い、とても嬉しかった。
「ほお、すげえじゃ。」

と通知をもって笑う姿が目に浮かんだ。と同時に、生きた祖父の喜ぶ顔が見られないのが無念でならなかった。
そんな祖父を入れた棺を見送ったときは、悔しくて、寂しくて、早くこの悪夢が醒めて欲しいと願い、泣いた。洪作がおぬい婆さんの棺を二階から見送ったときも、同じような気持ちで、涙をこらえていたのだろう。だがもう、二度と還っては来ない。祖父も、おぬい婆さんも。

 おぬい婆さんは、洪作が五才の時からの育ての親で、洪作を誰よりも可愛がっていた。いつも、

「洪ちゃ、洪ちゃ。」
と、朝から晩まで世話を焼くおぬい婆さん。しかし、洪作は逆に、おぬい婆さんを迷惑がることもしばしばあった。洪作が小学二年生のときの通信簿事件がそうだ。洪作の成績が二番というのに納得がいかず、おぬい婆さんはさき子にねじ込みにいった。
結局さき子に軍配はあがったわけだが、よほど洪作のことが好きだったのだろう。
「洪ちゃには、偉い人になってもらうんじゃ。」
というおぬい婆さんの気持ちがひしひしと伝わってくるようだ。洪作は、おぬい婆さんのお節介は嫌だったようだが、ここまで自分に世話を焼き、期待してくれることは、嬉しく、励みにもなっていたのではないだろうか。そういう点で、おぬい婆さんは、洪作にとっていなくてはならない存在になっていったのだと僕は思う。

 また、洪作にも、慕う祖父がいた。持越に住む、林太郎だ。林太郎は、椎茸の研究を続けていて、合掌式も開発したという。
「仕事は、自分の一番好きなものをやればいい。」
という林太郎の言葉が、洪作が林太郎を尊敬した理由だろう。「おまえ、将来何になるんだ」とか気軽に話す人はいたのだろうが、初めて洪作に静かに、真剣に将来のことについて語ってくれた林太郎。洪作も、また唐平
も、自分たちの未来について深く考えさせられたはずだ。

 この林太郎の姿にも、祖父が重なってくる。
 祖父も椎茸を作っていて、僕も去年ぐらいまで裏山のホダ木をよく見に行った。夕飯の時椎茸を焼くと、「うみゃあなぁ。」といって食べていたのを思い出す。
 野球も大好きで、僕のチームの試合も見に来てくれた。またそうでない日も、僕が試合から帰ると、「勝ったか。」とか、「打ったか。」とか、いろんな事を訊いてくれる。そして夕飯を食べ終わってから、祖父と父と三人で、野球のことについて結構話したものだ。

 洪作も僕も祖父も、天城に生まれ、天城に育った。そしてその澄んだ空気に五時、「しろばんば」の曲が響く。昔ほどでもないが、やはり都会などに比べれば、ずっと気持ちのよいところだ。
 その天城で僕は、これからもずっと祖父を忘れずに頑張っていくだろう。
「洪ちゃ、よくやった。」
と、おぬい婆さんもきっと天からいつものように言っているはずだ。洪作にも、時折おぬい婆さんを思いだして頑張ってほしい。おぬい婆さんも祖父も、天からいつまでも僕たちを見守っていてくれるだろう。

=========================================================

中学1年だった息子も、もう高校3年生。時折、義父に似た気質ものぞかせる。

義父だけでなく、我が家の命につながる多くの方々に思いをはせつつ、感謝の心でお盆をすごしたいと思う。

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2006/07/07

七夕の日に 義父を偲んで

 息子が中1になった夏だった。
中2、中3、高1、高2、高3・・・指を折ってみたら、・・・もう5年。

義父が逝ったのは、七夕の日だった。

入院して3ヶ月。治る見込みの少ないことはわかっていたけど、早朝のできごとは、あまりにも突然だった。初めて経験する、いろいろなことが、あわただしく進んでいき、大きかった義父は、小さな壷の中におさまってしまった。

少し落ち着きを取り戻しつつあった、ある日のこと。

初夏に応募してあったという義母の俳句が、何かの大会で賞をとり、賞状や賞品が宅配便で届けられた。隠居にいた母にそれを届けたあと、義父の遺影のある座敷に戻った。

お義父さんが生きていたら、きっと、とても喜んだだろうな・・・。

そう思ったとたん、涙があふれてあふれてとまらなくなった。
今までに、経験したこともないくらい、嗚咽し、号泣し・・・本当に、ずっとずっと泣き続けていた。・・・夏の風が、座敷から田んぼにぬけていった。

夢の中でも、何度か話すことができたけれど、起きたときには、どこにもいない。
また会えるような気がするのに、もう永遠に会うことはできない。
悲しくて、そして、もっと親孝行をしておきかったと悔やまれて・・・どうしようもなかった。

さっき、命日のお線香をあげてきた。
義母がすでに、庭に咲いた美しいグラジオラスを墓前に飾ってあった。
五年の月日はいつのまにか悲しみを癒してくれたけれど・・・、あの酷暑の日がよみがえってきて、また涙がこぼれ落ちる。

娘が、お墓のまわりの草に、手桶の水をかけていた。
「幼稚園のころ、じいちゃんと一緒に植えたんだ・・・。」
娘は、小3で終わってしまった義父との思い出を、楽しそうに話していた。
義父を慕っていた息子も、ひきしまった顔をして、手を合わせた。

お義父さん、いつも見守ってくださってありがとう。

これからも、ずっと・・・家族みんなの、心の支えでいてくださいね。

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2006/06/28

ネジバナの花言葉~わたし流

ここ1週間くらい、晴れた早朝には、匍匐(ほふく)前進もどきの体勢で、朝露の残る庭の芝に這いつくばっている。

それは・・・庭に群生化してしまったネジバナ(モジズリ)の撮影のため。

2006_0627june0003何年か前に、最初に花が咲いた時、夫が、珍しいものだから抜かないほうがいいよ、と言ったのでそのままにしたおいたら、いまではすっかり増えてしまった。

すみれさんや、たむさんや、nokoさんのブログでも次々にネジバナが登場。

わたしも、ピントのあった一枚を、と思うのだけれど、これがなかなか難しい。2006_0621june0008_1

とりあえず・・・こんな感じでございます。(^_^;)  まともな画像は、↑の皆さんのところへ飛んでね。

俳句や短歌ではもじずり草と呼ばれ、花言葉は思慕
可憐なピンク色がすてきで、ラン科の山野草だという。

結婚記念日である今日、この花をじっと見ていたら
なんだか、わたし流の花言葉が浮かんでしまった。

それは・・・家族の小さな幸せ。

今年で19年になる結婚記念日。
可憐な花のような、小さな幸せを、たくさん感じてきた。
そして、このネジバナの螺旋のように、ゆっくりとゆっくりと時を重ねて
いつしか、家族それぞれが世界を広げて、生きてきた。・・・
野に咲く花のごとく・・・平凡だけれど、たくましく。・・・・

そんな感じかな・・・。(#^.^#)

去年は、夫もわたしもケーキを買って帰って、12、3個ものケーキをみんなで食べることになり、大笑い。

今年はどうしようかな~、なんて朝キッチンでひそかに考えていたら
「ね~、今日ってさ~、結婚記念日でしょ~~(^◇^)」
と、単純な娘の元気な一言。幸い、夫には聞こえなかったようだけど、
「ふつ~、言わないだろ。夕食の時に、さりげなくケーキとかを出すのがいいんじゃないか」
とは、夕食時の、息子の弁。 そうだよ、娘よ、もう少し、人の気持ちの機微を学びなさい。2006_0628june0068

結局、いつものケーキ屋さんが休みだ~、という夫からのメールに、「買ってあるよ」と返信して、平日版簡易お祝いをした。ビールもちょっと凝って?みた。(ル・シュクルさんにはお恥ずかしいわ・・・)

洗濯物を干すのに、ネジバナの群生はちょっと歩きにくいんだけど、でもなんだか、摘み取れそうにはない・・・かな。家族の小さな幸せが、たくさん咲いているようで。

□追記□
 地域によっては、「家がまわる」と、庭に咲くのを好まないところもあるそうです。(義母も、初めて聞いたとびっくりしていましたが) 先人の言い伝えには、何らかの戒めがあるものですから、庭が山野化するのを戒めているのかもしれませんね。・・・皆さん、どうぞ、公園や野山でお楽しみ下さい。・・・我が家もちゃんとお手入れしなくちゃ。(^_^;)

□また追記□
 一方、このネジバナは、山野草としての価値がとても高く、人気もあって、お金を出しても買いたいという人も多い、と教えてくれる人もいます。それぞれの価値があるのですね。でも純粋に・・・かわいいですよ。

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2006/06/10

お父さんの子育て?わが家版

今日の娘のスケジュールはハードである。
7時過ぎに家を出て部活動に行き、お昼に帰宅後、歯科へ行き、その後友達と習いごとへ行き、さらに夕方は書道、という予定。交通の便の悪い地域のため、運転手を務めるわたしもたいへんである。(-_-;) いずれも好きでやってます。念のため。

なぜこんなことになったのかというと・・・2,3週間に1度の歯科の点検が重なったこともあるんだけど、日曜日に行っている書道を今日にしたためである。

なぜかというと、明日は地区の「男子バレー大会」があるから。出るのは。この辺りでは、季節ごとに、父親あるいは男子という名での、野球・ソフトボール・バレーボールなどの大会が催される。少し大きな地区なら微妙にメンバーを替えられるのだけれど、我が地区の選手は全部いっしょ。年齢を表すリボンと一緒にもう一枚リボンがあるから、また今年も一応キャプテン・・・なのかな?

バレーボールをやっている娘が、今年もなんとしてでも見に行きたいと言うので、予定を調整したのである。夫にとってはけっこうプレッシャー。若い頃から、彼のプレーに声援を送っているわたしとしては、なんとかいいところを見せてほしいと願っているけれど・・・。

「このごろ疲れちゃって・・・。」などと早くも言い訳をしている夫に、娘は昨日の夕刊の広告欄を指差して叱咤激励。サントリーの健康食品のそのコピーは、年齢を言い訳にしない、「男」でいよう。う~む。なるほど。

夫と話すのも出かけるのも好きな娘。わたしと一緒に、声を大にして前髪の心配をしている。夫が何か忘れた、と騒いでいるのを見ると、「しっかりしてね~。将来、介護するのはわたしなんだからね~(^^)。」とか言っている。(え、ほんと?) 夫の服を選ぶ時も、ああだこうだと熱心に品定め。なかなか心強い。

友人たちと話していたとき、「いまいち要領の悪い息子のことが心配だ」というわたしに対して、夫は、「娘のことのほうが心配だ」と言っていた。へ~。娘は、どんな環境でもたくましく生きていくだろうな~、なんて思っていたので、父親ってそういうものなんだなあ、と興味深かった。

父の日が近いせいか、はたまた少子化の問題が深刻なせいか、夫の家事分担とか、子育て参加度のようなニュースが多い。たとえば、これ。このブログに来て下さる方は、お子さんと愛情深く関わっている方が多いんだけど、やっぱり職種や状況によっては、なかなかそうもいかないということなのだろう。

個人の事情はあるから、無理なことを声高に言おうとは思わない。でも、もしできることであるならば、やはり父性としての関わりを子どもと持ってほしいなあ、って思う。子どもの人格形成にはとってもだいじだろうと。家庭は、ある意味で、人の基盤となる、と思うから。

子どもたちが小さい頃、わたしが家事をしている間、夫はよく宿題の音読を聞いてくれていたっけ。夫がたまに作ってくれる中華スープは子どもたちのお気に入りで、父の日のプレゼントが中華鍋なんていうときもあった。今はもっぱら、運転手生活・・・かな。

さて、明日の男子バレーでの活躍はいかに?? くれぐれも、怪我のないようにね、夫様(^o^)/

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2006/06/02

おまじないの習慣

忙しいと、爪を切るのを忘れてしまう。

ふと夜に、爪が伸びていることに気づくことが多いのだけれど、夜爪は縁起が悪いというので、なんとなく切ることをためらってしまう。それでもやはり切ってしまいたいときには、「犬の爪、犬の爪・・・」と唱えながら切る。

夜爪のことは、たぶんよく知られた言い伝えだと思うけれど、犬の爪っていうのも、そうなのだろうか。

人の前で話すときにあがらないようにするには、「」という字を3回書いて飲み込んだらよいという。試験などのときは、水もの、ということなのか、「」と手にかいてパン、パンと小さく柏手を打つ。いつからそうしているかわからないけれど、いつの日からかそうしている。これはたぶん、全国的に共通のおまじないなのだろうと思う。

一つ、ほかの人からはあまり聞いたことのないおまじないを、長いことやっている。

新しい靴をおろすときに、靴の裏におまじないをするのだ。
「事故も怪我も病気もありませんように。」と言って、靴の裏につばをぷっ、ぷっ、と小さくとばす。右と左に一回ずつ。それを終えてから、おろして履く。おろすのは午前中である。2006_0602june0010

息子は自分でやるが、娘はわたしに「おまじない、して。」と依頼にくる。先日も、靴が磨り減ったからと買った新しい白い運動靴を持ってきた。息子同様、走るのが好きな娘。怪我のないようにね、と思いながらおまじないをする。(これって、・・・うちだけ??)

こういう習慣は、親から子へ、自然な形で受け継がれていくのだろう。いったい始まりがいつで、理由が何かもよくわからないんだけれど、それでもなぜか、続けてしまうし、安心感をあたえてくれる。不思議なものだと思う。それぞれの家で、いろいろなおまじないがあるものなのかもしれない。

家族の中で、そんなふうにつながっていく些細なことを、大切にしていきたい。

・・・・・と、いい感じで終わりたかったけど、娘~!玄関の靴、そろえなさ~~い!!(ーー;)

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2006/05/14

俳句で綴る母の日の想い

 ゴールデンウィーク中、陸上の大会に忙殺?されて外食ひとつ行けなかった男組(夫と長男)のために、昨日の夕食は外食にした。一日早い、母の日もかねて。

2006_0514may0028  エレガンスな義母(はは)への母の日のプレゼントは、パールのうさぎのブローチ。義母の干支にちなんで、わたしと娘と実家の母で、先日帰省した折、伊勢丹で選んだものである。義母は、青緑のニットに組み合わせてつけてくれた。とっても似合っていて、娘と・・・にこっ(*^_^*)。

 義母は俳句をたしなんでいるが、その芽はすでに中学時代に芽生えていたようで、地区の文集の100号記念誌にも作品が掲載されている。

  コスモスの咲く庭先に母帰る

長寿を全うして十年前に亡くなった、娘たちのひいおばあちゃんへの、義母の想い。
中学生のときに、一人で留守番をしていて心細かったときに、畑仕事から帰ってきたお母さんに会って、ほっとした気持ちで作った俳句だと言っていた。母から娘に、世代はずうっとつながっていく。

 以前、職場で、俳句の研修が開かれ、出されたお題が、母の日・父の日だった。そのときに詠んだ、拙いわたしの俳句。

 母の日の電話の向こうに行きたくて

 口語的で、あんまり上手いとは思えないけれど、気持ちがよく伝わる、と、講師の先生に褒めていただいた記憶がある。嫁いだ娘にとって、実家の母は、いつも心の支え。今は携帯電話の定額制が登場しているおかげで、料金を気にせず、いつでも話せるようになって、このころよりも近くに感じられるようになったけれど、それでももう少し近くに住めたらいいな、と・・・時々思う。

 このときの研修でもう一句詠んだのは、その前年に亡くなった、夫の父を想っての俳句。

 亡き義父(ちち)に ふと品(しな)選ぶ 店の先

 同席の皆さんから多くの共感をいただいたけれど・・・残念ながら、これは季語がなかった(-_-;)。 でも・・・ずうっととっておきたい、思い出の一句である。 

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2006/05/03

伊豆から首都圏への「帰省」

ゴールデンウィーク、伊豆は大渋滞。

都内に住んでいるお友達が、キャンセルの出た伊豆高原に泊まりに来たけれど、どこも渋滞で着いたのが夜中の1時だったと嘆いていた。お疲れ様でした・・・。

そんな伊豆を抜け出して、娘と二人、実家に帰省。
本当は明日の朝にしようかと思っていたんだけど、今日の昼、地場産品をお土産にと思って買いに行ったら、荷物が増えたので、夜のうちに来ちゃうことにした。

逆方向なので、道もすいすい、新幹線もがらがら。・・・ほっ(*^_^*)。

Dscf0201普通は帰省と言ったら、都会の人が郷里の田舎に、というのが一般的。しかし、我が家の場合、逆である。お土産だって、 ごらんの通り、しいたけに、まいたけ、ところてん、わさび漬け、黒米にイチゴジャム、わらび。

普通は、田舎の母親が、都会に住む子供に送ってくれるようなものだという気がするけど・・・。でも、両親には、お菓子等より喜んでもらえるので。

逆パターンのメリットはいろいろあって、まず、両親にとっては伊豆に来る楽しみがある。温泉も海・山の幸も大好きだから、ばっちり!

さらにこちらとしてみると、都会に来る楽しみがある。いちいちホテルをとる必要もない。

そして、今後、高校生と中学生の子供たちが進学したとき、心強い。特にこのご時勢、女の子の一人暮らしは不安なので、気持ちの上で、だいぶ違う。老後の生きがいは、如何に人の役にたっているという気持ちをもてるか、ということにも左右されるようなので、ぜひ、生きがいにもつなげてほしい、なんて考える。

母は60代半ば。まだまだ若いつもり?でいてくれているので良いけれど、やはり健康は心配。両親が元気でいてくれるよういつも願っているし、伊豆の幸のお土産も、そんな想いからかな。

さて、明日はどこに行こう。田舎暮らしがしみついちゃって、ちょっと都会は疲れるようになっているんだけど・・・がんばるぞ。(*^_^*)

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2006/03/24

母の投稿~新卒だった私に

新規採用のフレッシュな若者たちが、今日は初任の学校をおとずれたはずだ。きっと、大きな希望と不安を抱えて、職場での挨拶を行ったのだろう。
わたしにとって忘れられないのは、あの、朝日新聞家庭欄「ひととき」への母の投稿。今でも時折読み返しては胸が熱くなる。・・・全文を紹介します。ちょっと長いけど・・・読んでください。

御蔵島へ赴任した娘
「行ってきま~す」
いつもと変わりなく出て行く娘。何の気負いもなく、淡々として船に乗り込む娘。伊豆七島・三宅島の先、御蔵島の学校の先生として赴任していくのだ。人口二百四十人、全校生徒二十四人。四十八の瞳の、そんな小さな学校へ。

 島への赴任には最後まで反対だった主人が、夜遅くまで娘の身の回りの品物を箱に詰め、荷造りをしていた。もちろん無言でだったが。姉を頼りに生きてきた弟にも、自立の時が来た。もちろん私にもだが・・・。こうして我が家にも一大転換期がやってきた。

 「島へ赴任の話があったからお受けしたい。」と娘が言い出したとき、一も二もなく賛成した私だが、いまこうしてガランとした娘の部屋を見ると、早まったと後悔している。まったくだらしのない母親だ。

「島では梅雨といわないで雨期っていうんだって。」
「雨がスコールみたいに降るそうだ。だから木々の生長が早いんだろう」
「東京都だっていうけれど、なんだか外国みたいだね。」
食い気一本の息子は、海が荒れると何日も船が着かないと聞き、「食料は大丈夫か」と心配している。こうして残された三人は、地図帳を前に、島の風土、人々の暮らしなどについて、世のふけるのも忘れて話しこんだ。

 待ちに待った娘からの電話は、島の学校の先生方のすばらしさ、しっかりしている生徒たち、島の皆さんの温かさなど、手短ではあったが、そのはずんだ声に娘の島での生活ぶりが想像できた。

 御蔵島の皆さん、娘をどうぞよろしくお願いします。つぼみ先生もがんばれ!

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 この記事が出てからしばらく、島では「新聞の先生!」って、よく声をかけていただいた。  今はもう、二人の子供をもち、当時の母の年齢にも近くなったわたし。母の思いも、実感として感じられる気がする。

 新採の学校が自分の教育の原点になる、と言われることがあるけれど、わたしの場合、学級の子供に、肉親のような愛情を感じてしまうのは、やはりこのときの教え子たちとの日々が原点になっているのかもしれない。

 フレッシュマンの皆さん、それぞれの職場で、どうかがんばってください!

 P.S わたしもいつか、新聞に投稿したい、ってずっと思っているうちに、どんどん、公表したくない年齢になってきてしまった・・・(-_-;) 新聞って、どうして年齢明記なの??あ~、今の時代に、ブログがあって良かった(*^_^*)

     

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2006/03/22

「感謝の心」お彼岸のお墓参り

お彼岸です。昨日のお中日には、どこのお墓も綺麗な供花で彩られていました。
暑さ寒さも彼岸まで、の言葉通り、春の訪れも感じられて心も温かくなる感じです。

ところで・・・
お墓って、どんな場所にありますか?

わたしは、関東平野で育ったので、平地にあるのが普通でした。
お彼岸のころには、なんかピクニックのような感じでお墓参りをするような印象もあります。

でも、こちらでは、山間部だからとはいえ、お墓は斜面にあるのです。(ちょっとデジカメで撮るには抵抗があって、わかりにくくてごめんなさい)
うちのお墓はけっこう上の方なので、階段をずっと上っていきます。最近手すりをつけてくださいましたが、お年寄りには、けっこう大変そう。亡くなった義父も、最期のころは、お墓を見上げて下の方から手を合わせていました。

平地にあればいいのになあ、と思ったこともあります。とくに、暑いお盆のころや、お腹が大きかったときなどもたいへんでした。

でも・・・お墓の前に立つと、とっても眺めがいいのです。
道路も山並みも、中学校も見えて・・・。伊豆の季節も感じられます。
この眺望のもと、ご先祖様を敬う気持ちをこめて、山の斜面にお墓を作ったのでしょうか。いつも見守っていてください、という、先人の思いなのだろうな、という気がします。

このお墓に眠る人は、義父しか知らないのだけれど、お墓の前に立つと、自然と、感謝の気持ちがわいてきます。無宗教で、とくに信心深くもないわたしですが、家族がそろって、それぞれ充実した日々を送らせてもらえているという、あたりまえかもしれないことのありがたさに気づける時です。

あ~あ、お義父さんに逢いたいな。・・・お義父さん、孫たちも、大きくなりましたよ。成長を見守っていてくださいね(*^_^*)

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2006/01/07

三世代同居のススメ 

 1年ぶりのブログ再開です。ちょっとコンセプトを変えることにしました。ホームページサイトとはちがって、自分の考えをしっかり語っていく場にしようと思います。ブログの良さを生かし、自分も成長できるといいな、と思っています。

 初回の今日は、表題どおり「三世代同居のススメ」です。昨今の話題の、少子化と高齢化社会。これらの問題の解決策として三世代同居の推進がわたしの持論なんです。

 わたしはフルタイムの仕事をもち、一生懸命仕事をさせてもらっています。子供二人は、30歳までに授かることができました。今は高校生と中学生。心身ともに健康で、元気に学校生活を送ってくれています。実はこれらの基盤はすべて、夫の両親の協力があってこそなんですね。

 奇しくも今テレビで、少子化対策大臣が、育児休業、保育の充実などを政策としてあげようとしています。そうじゃないんです。母親の充実感、そして子供が満ちたりた愛情の中で育つこと。ここを考えないと、心豊かな社会はできないと思うんです。

 わたしは東京で育ち、伊豆にお嫁?に来ました。義父母に恵まれたことは明らかなんですが、自分でも少しは気苦労はあったと思うんです。だから気楽に新婚さんで暮らしたい、というのはわかるし、若いうちならなおさらだとは思います。でも・・・わたしがもし、保育園に子供を預け、ぎりぎりで仕事をしていたら子供を愛おしく思い続けられたか自信はないし、何より、子供たちがすこやかに育ったか、考えると不安になります。(実際そうして育てている方は多いと思います。あくまでわたしの場合です)

父系であっても、母系であってもいいと思うんです。自己実現ができる環境、子供が大切に育てられる環境。そして、高齢者とふれあい、お年寄りが子供に元気をもらえる。もちろん、何日か保育園にいくのも良い、でも大事なのはその子への愛情。そういう点で、三世代同居はとってもすてきだと思っています。

義父は5年前に亡くなりました。愛情深い人でした。今もよく話が出るし、賞状や成績表は、誰が言うともなく仏壇におかれます。実家の両親のことも大好きで、電話でもよく話します。この子達の心に、そういう場所があることが、親としてとてもうれしく思うのです。

今、心が凍るような事件も多いでしょう?もっと心がつながり、温かい気持ちで過ごせるような社会のあり方、
みんなで考えていけたらいいですよね。姑問題などで苦しんでいる方にはごめんなさい。でも、そういう人ばかりじゃないから・・・。

では 初回はこのへんで。伊豆は雪景色にようやく日があたってきました。

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