見えない心を伝え合うために
「人の心の中は見えないし
いくら考えてもわからないものだから・・・。」
もう3年以上前になると思うけど、まだ小学生だった娘が口にした言葉が、ふと浮かんでくる時がある。
以前、中学校に勤めていた。
思春期の少女達の感情は敏感で傷つきやすくて、しばしばもつれることもあった。
誰かに悪く言われて涙したり悩んだり、苦しんだり。
相談にきた子の思いを聞く。
相手の子と一緒に話をすることにする。
わたしはただ、二人の間に座る。
相談に来た子が自分の気持ちを話す。
相手の子が自分の気持ちを話す。
わたしは言葉をつなぎつつ、そうだったんだね、とうなずきながら聞く。
ただそれだけで、二人の心が通じ合って、泣き笑いの顔になって、帰っていく。
・・・そんなことが何度かあった。
小学生の心はもっと成長の途中で、なかなか友達の心までをおもんばかることは難しい。
機が熟しつつあると思うとき、心の声をクラスの友達に伝える場を作ってみる。
時に、話す子は、思いとともに涙があふれ
聞いている子供たちは驚きながらその言葉を受け止める。
そんなふうに思っていたんだ、苦しかったんだ、と初めて知って
・・・やわらかな優しい顔になる。
ちょっとずつ、言葉が変わり、関わり方が変わっていく。
今日も、そんな場面があった。そんな時間を共有した子供たちが、愛おしかった。
・・・・でも、
わたし自身は優しい子供ではなかった。気が強かったし、わがままだったと思う。
大人になっていくにつれ、いえ、母となり、仕事を続けていくにつれ、そういう自分に気づくようになっていた。その時に思ったことが
「もっと小さいうちに、人の思いに気づきたかった。」ということだった。気づかせてほしかった、教えてほしかった、と言ったほうがわかりやすいかもしれない。
心の基盤をしっかり育てるのは家庭の役目だと思うけれど
人との関わりから教えていくのは学校なのだろう。
大切に思っていることは
机上で終わらず、実感する、ということ。 感じる、ということ。
そうでないと、心には刻み込まれない気がするから。
「心の教育」なんて、大上段に構えるつもりはなくて、ただ担任として、お互いの「見えない心」「考えてもわからない心」を通わせる手助けをしてあげたいと思う。温かい気持ちで。
そこから学んでいく力が子供たちにはあると、信じているから。
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